EPISODE


パリ13区で有名だったL’auberge du 15の守江シェフの料理が忘れられず、彼が独立して開いた「Yoshinori」 を訪問したのが2016年2月。
うきうきしながらワインリストを眺めるも、ボルドーの61シャトーを覚えたばかりだった当時、リストを解読することはできず、とりあえずお手頃な価格のボトルを頼んだ。

「Frédéric Agneray – Les Larrons 2014」 エチケットには青いカエルが二匹。沼の近くで造られるワインなんだろうか。。?
南フランスのワインだったので、大まかな味わいは予想しつつ、特に期待もせず一口。
レストラン着きたてのそわそわした心は一瞬にして、ボトル内の静けさと同化していく。
それは沼地の湿気ではなく、霧がかる早朝の湖面を彷彿させる透明感のある液体であった。
苔むす森や秋雨に濡れる落ち葉。静かに波打つ湖岸から立ち上がる水の香り。
すぐには南フランスのワインとは言えない静逸な造りだった。

「いつか自分がワインを輸入するのであれば、こんなワインを輸入したいなぁ」

まだ社会人にもなっていない自分が、仮にいつかインポーターになったとしても、その頃になってもこのワインが日本未入荷だとは到底思えなく、歯痒い気持ちでワインと守江シェフの料理を楽しんだ。


「Bonjour! よくこの場所が分かったね!」
あれから4年後、僕はフレデリックの玄関先に立っていた。
彼のワインを思い出す度に、日本に輸入されていないかチェックし続けたこの4年。キューピッドの代わりにバッカスが微笑んでくれた。
彼のワインを試飲する前に、畑に案内された。
アルデーシュよりさらに南にあり、シャトー・ヌフ・デュ・ パプと同じ緯度にあるサブラン地区。彼の畑はオークの森に囲まれており、北を向いている。
砂と石灰粘土 の土壌で冷涼とした場所。その1年前に訪問したシャトー・ラヤスの畑を思い出した。
その後、彼の奥さんと天使のように可愛い二人の子供に囲まれながら彼の家で試飲。ワインの味わいはフレデリックの人柄をそのまま反映させたかのようだ。
「透明感があり、ピュアで、何よりも自分の子供達に飲ませたいようなワイン。そんなワインを造りたい。」
それ以上、それ以下の説明を求める必要もない彼の理念と、南フランスの森の中にひっそりと佇むこの家に 自分を導いてくれた運命に心揺さぶられる冬の午後だった。


WINERY


フレデリックはかつてパリで現代文学を学んでいたが、スポーツ番組の視聴覚ドキュメンタリストとして働くために勉強を中断した。
その間、彼の余暇を満たしてくれるワインと出会い、ワインに対する想いは日を追うごとに強くなっていった。その中でも彼の情熱を焚きつけたのは、無農薬栽培かつ亜硫酸塩無添加で造られる、いわゆる「ヴァン・ナチュール」であった。

彼はパリにある様々なワインショップを訪問するだけでは飽き足らず、やがて気に入った生産者を直接訪問するようになった。

そのように生活をする中で、フレデリックは現代の農業の問題を指摘する一本の映画に出会う。
その際に抱いた嫌悪感とワインに対する情熱が結びつき、彼は自分でワインを造ることを決心する。


やがてフレデリックはロワール川南部アンジュー地区のモントルイユ=ベレにて農業の基礎を学び、
その後5年間に渡りグランジュ・オ・ベール、クロ・ルジャール、ジョルジュ・ヴェルネ、マス・リビアンでワイン醸造の修行を積む。


その後、彼はワインを造るための土地を探しに南アルデーシュに移住。
探す土地の条件は、良質なワインを生み出すことだけではなく、自然に囲まれ、彼自身が活き活きとした生活を取り戻せることだった。

しかし、いくら探しても彼の心動かす土地に出会えることはなかった。
落胆が重なり、彼はさらに近くにあるガール地区で探すことを決めた。
ある日、3haの土地のオファーをもらい、その土地を見た瞬間、フレデリックはそれが自分のために用意された土地だと直感した。

大きな砂質土壌のテラス、海抜200m、オークの森に囲まれ北を向いた斜面。
ブドウ畑は剪定されておらず、それまでは農薬が使われていた畑ではあったが、驚くほど多様な自然に囲まれていた。
すぐに契約を交わし、2013年12月から畑の手入れが始まった。


2014年の夏にはサブランに家を購入し、ガレージを改造し、ワイナリーに作り替えた。



基本データ
 [国・地域]
Gard, France (ガール・フランス)

[地区]
Sabran(サブラン)

[代表者]
Frédéric Agneray (フレデリック・アニェレー)

[栽培面積]
13ha