EPISODE



「モーゼルに君と同年代で、現地のワインを日本に紹介する仕事を始めた若い男性がいるから会ってみたらどうだ?」
日本でワインライターの仕事をする知人にそのような話を持ちかけられた4ヶ月後、僕はその彼とモーゼルのワイナリー巡りをしていた。彼の話によると、まだワインの知識や経験はあまりないが、モーゼルワインのポテンシャルを信じており、今後は日本にワインを紹介する傍らワインの勉強をしていくとのこと。ワイナリーがひしめく銘醸地であまりワインの経験がないと楽しそうに言う彼と、いい生産者を見つけ出すというのは、なんとも干し草の山から針を探すような気分で正直不安が大きかった。
そんな中訪れた最初のワイナリー、マーティン・シャーマン。
テラスは暖かいモーゼルの午後をワインと楽しむ訪問客で賑わっていた。奥にあるセラーから、垂れ目で穏やかな顔をしたおじさんがボトルを何本か抱えながら出てきてテイスティングルームに案内してくれた。
「全ては健全な畑から生まれるんだ。畑に命を吹き込まなければ、ワインに命は宿らない。」そう言ってマーティンは1本のリースリングを開け、注いでくれた。嬉々として、同時に恐る恐る飲んでみる。酸味が非常に強く、全体として無骨な印象。まだ若いのか。。?こちらの反応を期待するマーティンの視線を感じる。最初のグラスであれこれ判断するのはフェアじゃない、と思いながらもこれから訪問するワイナリーについて複雑な気持ちになり始める。
「ビオディナミに変えてからの4年は、収量も落ち、畑が荒れて大変だった。けど、5年目から成果が出始め、ワインは前より活きいきとしている。土もふかふかで多くの植物が生えるようにもなった。」 嬉しそうにこれまでのワイナリーの苦労と成長について熱く語るマーティンはどこかイタリア人を思わせる節がある。ワインについて語る目からは情熱がほとばしっている。 もう一口。
「!」
ワインは短時間のうちに既に姿を変えていた。遭難中に無線が繋がったような感動が体を駆け巡る。厚い雲が晴れ、一条の光がグラスに差し込んだようだった。味や香り云々というより、ワインがエネルギーを放っている。グラスからジーっという音が聞こえてきそうだ。
「あるだけこのワインを下さい」
咄嗟に出た一言にマーティンは満足げな顔をして、菌が築き上げた一大コロニーにいくつもの大きな樽が並ぶ岩盤セラーの内部に案内をしてくれた。

ABOUT


「他の土地と比べてモーゼルでビオディナミを貫くということは簡単なことではない。それでも出来上がったワインを飲むと、それが正しい道だということが分かる。」

2007年から本格的にビオディナミ農法への転換を開始したマーティン・シャーマンは多くの歴史的な畑でブドウを栽培している。その多くの傾斜は急であり、それがモーゼルでのワビオディナミ農法への大きな障壁となっている。そもそもモーゼルやラインガウのような傾斜がある土地でのワイン造りは多くの困難が伴うことで知られており、重労働を理由に機械や化学的手段に頼るワイナリーが増え、また後継者が現れず、閉鎖してしまうワイナリーも少なくない。ビオディナミ農法となればさらに負担が増える。
例えば、それぞれ夕方朝方に畑に散布するプレパラート500(ホルンミスト:雌牛の角に詰めた牛糞)や501(ホルンキーゼル:雌牛の角に詰めた珪石)は機械を使わずに散布しなければならないが、こうしたプレパラートを畑まで担ぎ、急斜面を上り下りしなければならない。その上、散布する時間帯も決められているため、何度も畑に赴く必要がある。

「ビオディナミに転換して5~6年経ったころにワインに大きな変化が出始めた。味わいや香りが複雑になったことももちろんだが、何よりワインからエネルギーを感じるようになったんだ。作業は非常に大変だが、この変化を一度経験すると、それなしでのワイン造りには戻れないね。」

ワイン造りにおける「見えない世界」を探究し始めたのは最近だが、今後も土壌の研究を重ね、SO2を減らしたり、彼が実現したい味わいに近づくための努力をしていく姿勢を崩さない。「自分のセラーには、ここにしかいない菌類が棲みついていると思うよ。
毎年気候の変化などで、彼らも振る舞いを変え、熟成しているワインにちょっかいを出す。僕もそこで介入してみたりするけど、結局何が正解かを言うのは難しい。これからもワインや菌類と向き合って自分の道を模索していくさ。」

WINERY


16世紀以来、家族経営でワイナリーを営んでおり、1982年にマーティンが現当主となる。
彼の祖父であるステファン・シャーマンと祖母のマリア・フィンクはそれぞれワイナリーを営んできた家系で、1910年に両家を統合した現ワイナリーが創設される。
戦後においては、投資を通じてワイナリーは徐々に拡大していったものの、90年代以降より良質なワインを生産するために規模を縮小。2012年にEcoVinに入会し、2016年にはデメテール認証を取得。

また、マーティンの息子は、「パオル・シャーマン・フィンク」という名前で自分のワインを販売している。2007年から全てのワインは完全に野生酵母での発酵に移行。それ以前は、培養酵母を使用することもあったがいずれも少量。ワインを熟成させるセラーが岩盤に掘られており、常に定温で適度な湿度がある。通常のワインはトノーで熟成させるが、ベーレンアウスレーゼ、トロッケンベーレンアウスレーゼ、アイスワインは大きなガラス瓶で熟成させている。

土壌は主にデボン紀のスレートから成る。ゾンネンウーア単一畑から造られるワインはより果実味の強いワインとなり、ヒンメルライヒ単一畑やシュロスベルグ単一畑はよりミネラル感が強くなる。総面積約6haの畑の内1haは平地であるが、他は全て急斜面畑になる。

基本データ
 [国・地域]
Mosel, Germany (ドイツ・モーゼル)

[地区]
Zeltingen-Rachtig(ツェルティンゲン・ラハティック)

[代表者]
Martin Schömann(マーティン・シャーマン)

[栽培面積]
5.6ha